あなたと一緒にいられるだけで、私はとても幸せです。





「戦人さん。」
バスケットを持った紗音がたおやかに微笑む。
うららかな昼下がりの九羽鳥庵。窓からは惜しみなく陽の光が降り注ぎ室内を暖かく満たしていた。
紗音が軽い足取りで窓際のロッキングチェアの傍へと歩み寄る。
「今日は熊沢さんが、クッキーを焼いてくださったんですよ。一緒に食べましょうね。」
優しいその言葉に、けれど応えは返らなかった。


今日は何をした。どんなことがあった。
楽しそうに語り続ける紗音。にも関わらず室内には彼女の声一つだけ。短い相槌すらも聞こえない。
サイドテーブルに置かれた二人分の皿には美味しそうなクッキー。しかし片方には全く手がつけられていなかった。
それでも。それでも紗音は語り続ける。楽しそうに。本当に楽しそうに。
「それでね、戦人さん。」
紗音がおもむろに立ち上がりロッキングチェアへ手を伸ばす。正確にはそこに座る人物へと。
「今年の親族会議の日程が決まったんです。10月4日ですって。」
頬に手を滑らせ額を寄せ合う。ずっと窓際にいた彼はとても温かかった。鼻を擽る心地よい太陽の香り。
しかし肌が触れ合ってなお、彼は、戦人は反応をしなかった。
遠目に見たら紗音が人形を抱いて語りかけているようにすら見えたかもしれない。
「今年は、見つけてくれるといいですね。」
それまで通りの優しい声音なのに、ぴしりと部屋の空気が凍った気がした。


半ば人攫いのような形で九羽鳥庵へ招かれた彼は始めは酷く抵抗した。
毎日出口を探し回り、ついには鍵を壊そうと家具や調度品をドアへ投げつけたりもした。
怪我をすると危ないのでと拘束すると今度は口でもって詰った。紗音にとっては思い出すことも辛い罵倒の嵐であった。
再会を喜び、ここでの生活を受け入れてくれると彼女は心の底から信じていた。疑う要素など欠片もありはしなかった。
だから彼女は一から戦人へ説明した。話し合えばきっと分かってくれるのだとやはり彼女は信じきっていた。
碑文を解いたこと。実は右代宮の血を引いていたこと。当主の座や黄金に興味はないこと。
そして唯一引き継いだ九羽鳥庵で二人で暮らしていこうという考え。
ここで一生二人で暮らしましょう。

紗音の言葉に、戦人はその晩隠し持っていたティーカップの破片で手首を切った。


命に別状は無かったが、彼は以来人形と化した。
椅子に座らせておけばずっと座っているし立たせておけばそれこそ何日でも立っているだろう。
なすがまま。されるがまま。そうやって九羽鳥庵に置かれている彼はまさにマネキンのようだった。

「ねぇ、戦人さん。」
額をくっつけあったまま、紗音が語りかける。否、独り言ちる。
「私は、それでもいいんです。二人で一緒にいられれば、もう、それだけで。」
心すらいらないと、暗に紗音は言う。それが互いにとってどれだけの傷を付けるのか。
分からない。彼女にはきっと分からない。愛が有るから、見えない。



幸せなんですと微笑む彼女の目元は、しかし今にも泣き出しそうに歪んでいた。





二人ぼっちのマネキン遊び